数ヶ月後。 いまだに笑顔を見せてくれる彼女を夕飯に誘った。 誘えた自分が誇らしく思えた。別の人間かと思った。 彼女の答えは 「もちろん、行きます。どこに連れて行ってくれるんですか?」 生まれて初めて、生まれて良かったと思えた。 告白した。 いろいろ考えて考えて…何度も練習して…。 それなのに、言えたのはたった一言。 「す…好きなんです。付き合って…ください…」 自分でも情けなくなるくらいしどろもどろだった。 「ごめんなさい。今は付き合うとか考えられないんです  いろいろやりたいことがあるんです。」 彼女はそう言った。 悲しかったけど、妙に納得してしまった。 ある意味で嬉しかったのかもしれない。彼女の断り方が。 数ヶ月後、彼女は寿退社をした。 相手とは3年付き合っていたらしい。 結婚式には呼ばれなかった。 傷心… そんな気持ちを抱くこともなかった。 「そんなもんさ。いつものことだろ。」 いつのまにか口癖になっていた。 仕事に命をかけよう。父親のように。 今はそれしかない。 仕事だけは俺を必要としてくれている。 …やることはたくさんある。 「お前、この仕事向いてないよな?自分でもわかるだろ?  辛いだけだぞ?こんな仕事続けても。まだ若いんだから  転職でもしてみたらどうだ?」 ある時、上司から告げられた。 俺は馬鹿だけど、上司が何を言いたいのかは分かった。 次の日、辞表を出した俺に上司はうれしそうに 「お疲れさん!」 同僚たちはいつものように仕事をしていた。 いつも以上に忙しそうに。 その日夜遅くまで公園で時間を潰した。 家に帰った俺に、母親がいつもの笑顔で 「お疲れ様」といった。 「会社、辞めてきたよ」と言った俺に、一言。 「お疲れ様」 同じ笑顔だった。 数ヶ月前。 職を探していた俺が、いつものように家に帰ると母親がいなかった。 夜遅くに電話が鳴った。 病院からだった。 母親の声だった。 いつもの優しい声で、具合が悪くなったので医者に言ったら 入院するように言われたこと。今日はもう面会できないから、 明日必要なものを持って病院に来て欲しいことなどを告げられた。 次の日、保険証やら着替えやらをもって病院に行った。 癌だと、医者から告げられた。 末期の胃癌だったそうだ。 もう、助からないらしい。 いつものように優しい母親。 目を見ることができなかった。 一人で家に帰って、父親に告げた。 父親の前で泣くのは、これが2回目だった。 1ヶ月ほどたった日、母親がかすれた、それでも優しい声で言った。 「もう助からないんでしょ?分かってるのよ。」 俺は黙ってしまった。 母親はいつものように優しい声で 「どう?仕事は見つかりそう?」 話題を変えた。 俺は我慢しきれずに泣いてしまった。 母親はずっと俺の手をさすっていた。 数少ない親戚が久しぶりに集まった。 「あの人は本当に良い人で…」 「惜しい人を…」 どこかで聞いた台詞であふれていた。 俺は淡々と喪主を勤つとめた。 ここ数ヶ月、ずっと独りで、とても広く感じていた家。 その日からさらに広く感じた。 骨壷は思っていたよりも軽かった。 家に帰った俺は机の上においてあったノートを手にとった。 母親の病室の、枕の下から出てきたノートだ。 日記だった。 入院してから、1ヶ月くらいから、死ぬ2,3週間前までの。 その日記は父親との会話でつづられていた。 2,3日分の日記を読んで、泣いてしまった。 書かれているのは全部俺のことだった。 最後のページから数日前の日記。 その日記だけ、俺宛だった。 ○○、あなたにずっと謝りたいことがあったの。 ○○がいじめられていたこと、ずっと知ってたの。 でも、私は弱い人間だからただ優しくすることしかできなかった。 学校に行こうかとも思ったけど、行けなかった。 いつも○○が優しい顔で「今日も楽しかった」って言ってたから。 だれにも言わずにがんばっている○○を裏切れなかったの。 覚えてる?高校2年の頃。私は酔ってあなたに言ってしまったね 「産んでごめん」って。 本当にごめんなさい。あのときは本当に思ったの。 あなたがこんなに辛い思いをしているのは私が産んだせいだって。 (中略) 私はあなたを産んで本当に良かった。幸せだった。 だから、あなたにも幸せになって欲しい。 あなたなら幸せになれる。お願いだから、なって。 俺は驚いた。 まさか、あそこまで潰れていた母親がそんな事を覚えてるとは 思ってもいなかったから。 ずっとそのことで悔やんでいたんだと思った。 優しくともすこし陰のある笑顔はたぶん、その後悔から来てたんだろう。 号泣した。 どこからこんなに涙があふれてくるんだろう? 死ぬことを考えていた俺は思った。幸せになろうと。 「それでも生きて行こう」